ニュースに何か言ってみる
2008年12月12日
安楽死の是非を問う
英国で10日、運動ニューロン疾患の末期患者の男性が2006年にスイスの病院で「安楽死」する様子を撮影したドキュメンタリー番組が放映され、賛否両論を呼んでいる。
運動ニューロン疾患・・・運動神経にピンポイントで障害が現れ、手足に力が入らなくなり、次第に全身の筋肉に障害がでて、呼吸することもままならなくなってしまう病気である。
自分で生きている価値を見出せなくなったとき、自ら死を選ぶのは是か非か?
そして自ら死を選び、他人が手を下す安楽死はいったいどうなのか?
病気による安楽死の選択は自殺に等しいというものもいれば、尊厳死、苦しんでるものは死ぬのもひとつの権利であるというものもいる。
私は自殺とはまったく別物であると考えるべきだと思う。
一般的に言う自殺は突発的なものが多い。その一定の期間を過ぎれば状況が上向くこともあるのだ。
だから私は自殺には反対であるし、今後の可能性を捨てるような輩は許せないのだが、安楽死における状況はまた違ってくる。
安楽死を選択する状況、ほとんどの場合病気に関するものであろうが、今後治る見込みも無い、そして未来が無い状況なのである。
それでいてどれだけの期間、他人に迷惑をかけるかわからない。
本人はますます追い込まれてしまう。
そういう状況であり、自殺とは若干違う。
無論、死なずにすむというのに越したことは無いのであるが、生きていることが永遠の苦しみにすら感じることもあるだろう。
色々と物議をかもし出す『安楽死』
安楽死を推進するわけではないが、本人が安楽死を選択する権利というものまで奪う権利も無いのかもしれない。
自殺と安楽死、まったく別のものであるということだけは譲るわけには行かない。

